介護のバトンを渡されたとき

突然渡された
介護のバトン。
深く考える暇などなく
いまできることをやるっきゃない。

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こじれた関係は元には戻らない

1年前に言い放たれた
兄からの言葉。
「家を出ていくから」

それまでの
両親と兄夫婦の仲のこじれは
なんとなく知っていたけれど
まさか出ていくとか
そこまでこじれちゃっていたとは
知る由もなく
わたしは
その言葉を発せられた途端
思考が停止してしまいました。

二世帯住宅を建て
両親とともに過ごしていた兄夫婦。
助け助けられの関係だったはずなんでは?
なんどもこじれた話は聞いていたけど・・・

わたしは家を出たときから
実家に帰っても
横に寝転んだことすらなく
実家での滞在時間は
長くても30分くらい。

家督の兄夫婦を神のように崇め
いつも兄夫婦の存在に
ビクビクし
褒めたたえまくる母。
そんな姿に
遠慮し
実家には
とても行きづらい環境。

なので
出ていくと言われても
「へ?・・・」
って感じで。
わたしの立ち入る話?
わたしは入れない空間だったよね?

どちらの味方にもなれない

出ていくまでの半年の期間
兄と兄の子供(甥)が
わたしの家にちょくちょく来ていました。

わたしは独り身なので
来てくれることに
誰に遠慮するとかではなかったけれど

「両親に出ていくことを伝えてほしい」
「出ていった後のことをお願いしたい」
「上手く出ていけるような流れを作ってほしい」

こんな相談を受けてました。

わたしは
両親は育ててくれた人だし大切な存在であり
兄もいろいろ助けてくれたり
たった二人の血を分けた存在。

どちらの味方なんてできなかった。

親にわたしの口から
出ていくことを告げるということ。
これわたしがすべきことなの?

親の面倒をみていくこと。
いずれその時期が
くるだろうと思ってはいたけど
まさかこんな形の展開だとは。

親も親で
一年の間
一言も口をきかない兄夫婦を不審に思い
わたしに何度も尋ねてくる。
なんか言ったないか?

わたしは間に挟まれ
その悩みが忘れられる仕事が
唯一の逃げ場所になりました。

家出人はご近所さん

両親は80歳を過ぎ
母は家事をしたことがない。
いままでの料理とか掃除は
わたしが実家にいた学生時代は
祖母とわたしがしていて
そのあとは、義理の姉が引き継いだようで
母は一切関わらず
80歳となってしまったわけで。

「食事とか掃除とかどうするの?」

兄に聞いても
すでに新しい家のことで頭がいっぱいで
未来のことに向かっている模様。
両親との出来事はまるで過去の出来事で
「あの人達はあの人達でなんとかするべ」

「あ・・・」
この感じは
わたしが動かないと?

結局・・・
あっという間に時間は流れ

両親に出ていくことを告げず
まるで家出をするかのように
兄夫婦は実家を後にしました。

遠く離れた場所に行ったわけではないけど
(なんとわたしの近所に家を建てました(;´д`)

両親が健在なうちに
もう実家に戻ることはないだろう。

家を捨て
両親を捨てる覚悟で出ていったのだから。
わたしは分かっていました。

けど
兄夫婦が出ていったことを
未だに信じたくない両親は
いずれ帰ってくるだろうと
どこか期待をしているんだろうと思います。

だって
二世帯住宅の兄夫婦が住んでいた場所は
いますぐにでも生活できる感じなのですから。

見守る生活はこれから

あれから半年になります。
認知症気味の両親は
普通に笑って暮らしています。

兄夫婦が出ていったことで
予想外にも
両親の反応は
多少なりとも落ち込んだのでしょうけど
多分怒りの方が大きかったらしく
いまは
毎日せっせと汗水流して
草取りやら
草刈りやら
畑の仕事に精を出してます。

一つの家庭それぞれに
介護の形は違っていると思います。

いずれいまよりもっと老いていく両親
そして自分も・・・

人は生きている限り
いずれ老いるんです。

時は待ってくれません。
だからこそ
一日一日を大切に生きていきたい。

今日も実家で
珍事件が起きてることでしょう。
よく捜索願いの連絡がくる財布と手帳。
対策考えないとですね(笑)


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この記事を書いた人

「かこぷブログ」管理人かこぷと申します。アラフィフシングル女子。人生はいばらの道。それでもまた夢に向かって歩きだしています!よろしくお願いします!

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