高齢者男性にとって
幸福感を感じれるものは
「結婚や配偶者の存在」が
大きく関係してる。
そして
高齢者女性の幸福度を左右するのは
「経済面での安心と精神的自立」が
一番大きく関係しているそうです。
ある調査の元でとったアンケートだけど
きっと多くの人が同感しているかも
しれませんね。
考え方も価値観も違う二人が
幸せに暮らしていけるカタチとは?
自分で自分を褒めまくる毎日
一日に何度もかかってくる電話。
その連絡は母から。
かなり認知症が進んできてて
さっき電話をかけてきたことすら
忘れてしまっているようです。
あれこれ無くすものも多いし
飼い犬の心配だったり
食事のことだったり
届いたダイレクトメールも
何のことなのか心配になるようで
わたしの予定などお構いなしに
電話をかけてきます。
着信の音がなる度に
「え~また電話きた・・・」
と億劫になる一方で
「何かあったのではないか?」
と慌てて受け取ってしまう。
内心ビクビクしてるんです。
早寝早起きなので
夜中の連絡はさすがに無いので
その時間だけが
わたしの安心できる時間。
こんなにも頻繁に連絡がくるけど
年齢が年齢だし・・・(80歳すぎ)
仕方ないことなんだと
自分に思い込ませてたりしています。
とにかく物忘れがひどく
物事を一つ一つ丁寧に
イラつかず
説明していかなければなりません。
しょっちゅうのことですが
物をよく無くします。
100%の確率で
両親は見つけ出すことができません。
何故なら
とんでもないところにあるから。
全く無くしたものと
関係のない場所にあるのです。
いつも探し物をしています。
毎日何らかのトラブルがあって
呼び出される。
「我ながらよくやっているよ」
自分で自分を褒めながら
対応に明け暮れる毎日。

第三者の助けがそろそろ必要?
80歳を過ぎて
とても元気な両親だけど
認知の度合いが
少しずつ進んでいます。
「ヘルパーさんを頼もうかなぁ」
そう思ったことも何度もあります。
しかしながら
両親の行動を見ていて
2人でチカラを合わせて
生活をしていくことで
お互い励みになり
まだやれるという
自信にもなっているようなので
しばらく様子を見ることにしています。
そして
2人で協力し合っている
仲睦まじい光景を見ていて
第三者が入ることでギクシャクしてしまい
中々ヘルパーさんを頼む決意が
できないという理由もありました。
いまは
わたしが仕事のときなど
近所の方だったり
父・母の兄弟だったり
ちょくちょく様子を
見に来てくれている様子です。
みんなには
感謝の気持ちしかでてきません。

老後の幸せのカタチ
人を信じることができない母と
理屈っぽい父とは
何年か前までは
たまに大喧嘩をして
巻き込まれることもしばしばありました。
お互い家出を繰り返し
探すわたしはヘトヘト。
心配されたいが故の
家出だったんだろうけど
それを分かっていたとしても
万が一って想像するだけでも
恐ろしくて
探さずにはいられなかったんです。
いま思いだすと
とても懐かしい思い出です。
そんな父と母も
最近では、大喧嘩などせず
穏やかに暮らしています。
何をやるのも一緒。
2人で話をして笑ってたり。
独り身のわたしとしては
なんだか羨ましい限りです。
離婚していなかったら
パートナーが出来ていたら
何年か後は
こんな生活が待っていたのかな。
そう思うとなんだか
独り身は寂しいですね。
この道を選んだのは
わたしだから
後悔はしてませんけど。
ただ
仲の良い父と母を見ていると
こんな生き方もあるんだなって。
性格が全く合わない2人が
いまは寄り添って
穏やかに暮らしている。
認知症が進んで大変なときもあるし
高齢者用の食事を作るのも大変だし
毎日届けることも決して楽じゃない。
けど
大喧嘩ばかりする
両親の姿しか見てないわたしにとって
いまは
穏やかに寄り添って
暮らしている姿を見てるだけで
なんだか気持ちがホンワカします。
いまが二人にとって
幸せだと言える時間
そのものかもしれません。
これからまた
状況が変わるときがくるだろうけど
いまは静かに見守りながら
サポートしていこうと思ってます。
老後の幸せのカタチ。
